添削を受ける=出来るようになる、ではない
こんにちは。
まだ11月中旬に差し掛かろうというタイミングではありますが、一足早くわが家の車はタイヤ交換を済ませました。
例年ですが、
天気予報もいつの間にか雪マークが登場したり、雪が降ってきてから急いで交換しようと思うとお願いするお店さんも混雑していて迷惑になったり…
加えて、まぁ自分は良いとして、小さな子供3人を日常的に載せる車は万一があってはいけない、と。
そんな思いで早めのタイヤ交換としています。
※ちなみにわが家はご用達のお店に毎年お願いしています。タイヤも保管して頂き…超助かってます。
さて、そんな余談から開始した本日のブログですが、今日のタイトルの件について。
特に今月に入ってからは、受験生の作文添削やら国語の正誤チェックやら和訳チェックやら…
毎日24時からの仕事の手始めは添削、そういう流れになっています。
で、そんな中で思うことは、
添削を受けるだけで全くそれが活かされていない子が少なくないということです。
例えば、
添削に付随して、「○○をするように」というコメントを添えているのに、それをせずに次回も提出する。
例えば、
「こういう話し言葉は控え、○○という表現に変えてみよう」という指導を無視してそれを繰り返す。
これは中学1・2年生のスタメモに共通することですが、
こちら側からの指導コメントを全く見ていない子がいるわけです。
で、そういう生徒は当然学力が向上するわけナッシングなのです。
まぁ、まだ…
中学1・2年生のスタメモは「課題」なので、こちらも根気強く…そう思います。
が、しかし3年生の添削依頼は全く別のはずです。
あくまで「自主的」に、「己の学力を高めたい」から、「添削」を受けるのであって。
にも関わらず、添削したものが無下にされると、それは悲しいわけです。
加えて、そういう積み重ねの先に何があるのか?と。
例えば、3年生のある女の子はかれこれ1ヶ月くらいでしょうか…
作文添削を一定のスパンで行い、最初の頃とは全く別人のように作文を書くようになりました。
都立の重点進学校の問題でも、ある程度読み取って、自身の意見も具体的に書けるようになってきましたし、
恐らく自身もその手応えは感じていると思います。
※まだ抽象的な表現で誤魔化す時もありますが(苦笑)
その子がこういう状況になったのは、
◆定期的に、そして継続的に行ってきたこと。
◆指摘された指導やコメントをしっかりと取り入れて、修正してきてくれたこと。
この2つに尽きるのです。
でも、どうも…
タイトルの様に「添削を受ければ上がる」という大きな勘違いをしている子もいるように感じます。
違うんです。
やるべきことをやるから、上がるんです。
昨日も「模試の作文を添削してほしい」と数名来ましたが、いったん断りました。
まずは、添削をお願いする前に自分で誤字脱字が無いか?誤った表現が無いのか?
自分なりにでいいから
そういうことをやったの?と。
それすらせずに、まずは自分自身で考え、やるべきことをせずに…
それで「添削して下さい」は違うんじゃないの?と。
僕が、そこに「時間」という対価を払えるのは、塾生の「成長」に繋がるからであって、
趣味で夜な夜な中学生の作文を添削し、それに喜びを感じているわけではないのです。
※故に、成長を感じる作文を添削している時には一人でニヤニヤしたりはしますが(笑)
良いでしょうか?
どんな教科であれ、どんな単元であれ、最終的に学力を伸ばすのは自分です。
誰が何と言おうと、それは間違いないのです。
で、僕らがしているのは「サポート」です。
まずは自分が!
そういう気持ちをもって、勉強に挑むようにして下さい。
では、今日の一曲です。
Save Ferris の The world is new です。
「あ!どっかで聞いたことがある…」そんな曲かもしれません。
大学生の頃、結構好きで聞いていました。Save Ferris。なんか元気になりますね。
ということで、キャンパス生も今日も元気に頑張りましょう!
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