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どこまでやりきる人間になるのか
何を持って「成長」とするのか?
何を持って「成果」とするのか?
小学生や中学生であれば、一番分かりやすいのはテストでの結果、特に順位…
僕自身はそこに求めるようにしています。
だって、やっぱり塾ですから…
でも、僕は体験前の三者面談で必ず保護者様にこうもお伝えします。このブログでも何度も書いていますが…
「成績を絶対に上げるというお約束は出来ません」と。
それは、成績アップの為に全力を尽くす=生徒の成績が上がるという方程式は成り立たないと僕は思っているからです。
当然、
生徒自身がサイコウのやる気を持って毎回塾に来て、
宿題もやりっぱなしでなく、間違え箇所も赤ペンで書いて終了でなく、解き直しまでしっかりやって、
授業中も100%の集中力でやり抜いて、
学校の授業もしっかりと聞いて…
全塾生をこういう状況に持っていけるという確信が持てたら僕は体験前の面談でそう謳うかもしれません。
でも、そうじゃない…
そもそも嫌いな子の方が多い勉強なんですから、
気分がのらない中で、それでもいかなければならないと思って塾に来ることもあれば、
宿題も写すことだってある。
塾の授業中だって集中力が途切れることもあれば、
学校の授業だって疎かにする子もいる。
友達関係で悩んで勉強に身が入らないこともあれば、
やるべきことが膨大になりすぎて、全部を投げてしまいたいって思いことだってある子がいる。
今現在のキャンパスの立ち位置はまだそこです。
当然、理想に少しでも近づくことを目指し、日々成長できるように努めています。
それでも、「やった!理想を手に入れた!」と思えることは無いでしょう…
恐らく。
当然、全員アップを放棄しているわけでもないし、そこを絶対に達成したいと思っています。
日々あれこれ試行錯誤を繰り返し、トライ&エラーで修正をかけ続けるにもその為です。
でも、その目標について客観的にみる自分もいる…
そんなとこでしょうか。
話を戻します。
じゃあ、テスト結果以外に成果を、成長を図ることは出来ないのか?
僕自身は今の段階ではYESと思っています。
こと勉強に関しては、ですが。
当然、日々の学習習慣が身に付いたらそれは成長でしょうし、
今まで勉強しなかった子が少しでも勉強するようになったらそれも成長でしょう。
でも、思うんです。それって、単なる周囲の満足度なのか?と。
僕が毎日対峙している子供たちは、
勉強習慣を身に付けたくて勉強しているわけじゃあないですし、
※そもそも何のために勉強するのかというのは論点がずれるので割愛します。
前よりは勉強するようになったと思いたくて勉強しているわけじゃあない。
なら、やっぱり僕は、僕らは…
「出来るようになった」という事実に常に目を向けて指導していかなければならないと思っています。
毎回全員は無理かもしれないけど、
トータルで考えると、入塾時よりは確実に結果も出てるよね、と。
毎回全員は無理かもしれないけど、
今回そこにしっかりと向かっていた○○は確実に成果がでたよね、と。
それを日々絶対に頭に入れなければならないと思うんです。
ということは、やはり子供たちにそれを意識させられなければいけない…
僕だけが思っていてもしょうがないですし、
当然勉強という試練を通し、成長していくのは子供たち自身なわけですから、
じゃあそれを本人に自覚させないといけないわけです。
でも、それがまだまだできていないな、と…
一つ出来るようになる為に必要なことは、本当にシンプルなことなのに、
出来るようになる迄やるだけなのに…
個人差は絶対にある…
1回で出来るようになる子もいれば、
10回やって出来るようになる子だっている…
でも、出来るようになるまでやれば良いだけなのに、
恐らく、
「やった(つもり)」
「勉強した(つもり)」
「机に向かったという事実に対しての満足」
この状況で止めてしまっている子が少なくないのだな、と…
そんなことを今日の2年生の追試で感じた次第です。
じゃあ、僕自身やるべきことは決まっています。
早速、今日から…
また新たなる一手を打っていきたいと思います。
さて…
がんばっぞ!