勉強よりも大切なこともある

昨日の英語教室終了後…

中3生を迎え入れるために机を拭いて回っていると、非常に残念な光景がありました。

◆机の上に消しかすがそのまま残っている

◆机の下に意図的に消しかすを落としている

怒りとか、そういう感情ではなく、とても悲しい気持ちになりました。

勉強は絶対に大切です。

まだ36年しか生きていない若造ですが、心からそう思います。

人生の選択の幅を広げるのは勉強であり、そこに向かう努力の経験値である、と。

でも、勉強と同等に、いや…それ以上に大切なことも沢山あります。

学力面では非常に優秀でも、

他人様に迷惑をかけて、一生消えない傷を負わせているアホだっています。

学力面では優秀かもしれませんが、

他人への配慮が出来ず、場にふさわしい態度が取れず、社会に適応できない人間だっているのです。

それは塾においても同じです。

勉強さえすれば何でも許されるわけではありません。

勉強面での努力さえすれば偉いのではありません。

※この点を勘違いしている中学生も中にはいます。特に感じるのは保護者様にお迎えを頼むときの電話のときです。

キャンパスで言えば夕方は小学部、その後夜は中学部という流れです。

当然、小学生が使った机は中学生がそのあとに使うのです。

小学生だから…それで許されるわけではありません。

自分が使ったものは元に戻す。

自分が使った場所は綺麗にする。

自分が借りたものは大切に使う。

こういうのは小学生でもできる人は出来るし、出来ない人は大人になっても出来ません。

だから、やはり「今」何だと思います。

勿論来週の授業時に話しますが、これは塾だけではありません。

学校でも、自宅でも、他の習い事の場所でも…

周囲の目を気にしてではなく、「自分以外の人」のことを考えて行動できる人になってほしいと思います。

で、もう一つ…

昨日(というか今日)の佐久間のブログにもありましたが、やはり〇つけ…

ここをかなり適当にやっている子が目立ちます。

昨日も、個別の宿題についてあまりに〇つけが雑すぎる為にやり直しを命じた子がいました。

その子に関して言えば…

スペルミスの単語

ピリオド無し

クエスチョンマーク無し

小文字での英文書き出し

これらの問題が多発しているにもかかわらず、殆ど〇がつけられていました。

で、本人にも聞きました。

「この勉強どうだろう?自分の為になるのか?こういう勉強で○○の力がアップしていくのかな?」

で、その子は答えました。

「いや、出来ません。ダメだと思います。」

ということで、今日やり直しをして持ってくるということになりました。

中には「厳しい」と感じる子も(保護者様も)いらっしゃるかもしれません。

が、僕の中では絶対に違います。

厳しいのではなくアタリマエ。

勉強という一連の流れにおいて、「〇つけ」を丁寧に、正確にやるのはアタリマエなのです。

加えるなら、こういう状況を見過ごす方が極端な言い方をすれば子供の学力向上を妨げる1番の要因になると思います。

その子も昨日は反省しているように私の目には映りました。

元々非常に素直な生徒ですし、「何が問題なのか」も分かってくれたと思います。

あと、ここからのリカバリーと意識改革ですね。

一歩一歩…前進させていきたいと思います。