親としての役割
キャンパスの開校時と今との一番大きな違い…
それは「自分にも子ども(家庭)がいる」ということです。
開校時から5年目までは、「想像」の範囲で、または保護者さんの話を伺って「親としての考え」をイメージしてきました。
でも、自分も子どもを授かり、確実に変わってきたのが「親」としての目線がリアルになったということです。
それは同時に、わが子に対する自分の想いを塾運営にも投影できるようになったことも意味します。
ところで、そんな私の子どもですが現在長男が3つ習い事をしています。
サッカー、ハングル、そして今週から英語。
これだけ見ると、「超教育熱心」かと思われるかもしれません。まだ4歳ですから。
でも、僕の中ではそれぞれに目的があります。
①サッカー
自分が好きだから。以上。←これを親のエゴと言います(笑)
②ハングル
日本語と「母音」の概念が全然違う言語を習いながら、「耳」と「発音」が少しでも上達してくれたら…。ちなみに、僕は耳が超悪いんです。
加えてもう一つ。韓国、中国、日本がいずれはより密接につながっていかなければならない日がくると僕は勝手に思っています。
もうね…反日とか、日本人は日本人で「やれ中国が」「やれ韓国が」…もういいじゃないですか?って。
歴史を軽視するな!ってお怒りの人もいるでしょう。それも自分なりにしてきた勉強の中では分かっているつもりです。
でもね…
過去も大切ですが。もっと大切なのは未来なんです。
互いが納得する道を本気で模索していった方がお互いの為だと思うんです。
そして…これは勝手な(自分側の)都合ですが人口問題や国の経済状況などなど…
今の日本の現状、これからの日本の現状を考えると、これからは「東アジア」としてのつながりを強化していかないと、日本は本当にマズいですよ。
まぁ、そのつながりを強化する国は東南アジアの国々でも良いのでしょうが。
そんなこんなでハングルを僕も一緒に習ってます(かれこそ仕事を理由に3ヶ月ほどさぼってますが)。
あとは、先生がすごく楽しいというのも大きな理由ですが(笑)
③英語
これも英語の習得が第一目標ではなく、耳と発音。そして、ハングルは個人レッスンなので、保育園以外で他の子どもとコミュニティを形成する場を作ってあげたいと思ったからです。
まぁ、英語に関しては「耳」と「発音」さえある程度になったら、あとは自分が教えればよいと思っているので。
そうすれば必然的に父親以上の英語力を身につけるわけで。
まぁ、他にも多々理由はあります。
が、主だったものをいくつかあげると以上の通りです。
さて、何が言いたいのか?
子どもが自分で考え、判断できるまでは習い事等の取捨選択も親の責任ではないか?ということです。
僕はそう思ってます。
安易に
「英語ができないと困るだろうか英語を習わせましょう!」
とか、
「少しでも早いうちからやった方が良いだろうから、算数を習わせましょう」
とか。
物事、なんでも早ければいいってもんじゃないと僕は思ってます。
例えば、自分の息子の英語に関しても、
「ガンガンかかせる英語」を今からやるのは間違っているでしょうし、
「検定を目的とした英語」を習うのも違うと思います。
先週体験授業を拝見して、それで「あぁこれだったら自身が考えてるものと合致するな…」って。
そう確信を得たので、今週から正式スタートとなりました。
子育てには正解なんてないでしょう。
こういう自分の息子も、十数年後には荒れくれ坊主になっているかもしれません。
でも、大切なのはやはり子供のことを本気で考えることだよな、って。
そして、「子供の自主性を尊重する」前に、親がぶれない考え方を持つことだよな、って。
そう思っています。
※まぁ、こういうのも塾生の保護者様方から教えて頂いたことも多いのですが
ということで、これからは折角自分も親なんだから、そういう立場の考えも発信していこうとかなり前にブログで書いたので、
そろそろ実践していこうと思います。
今日も既に片づけたい仕事が順調に来ています。
ここからは…塾ガイドの最終調整です。
小学6年部の授業開始前までに、出来るだけ進めたいと思います。
おし、がんばろ!
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